このウェブサイトでは、兵庫県ヘリテージマネージャーの活動を中心に、ヘリテージマネージャー養成講習会のご案内、歴史文化遺産のご紹介などを行っています。
わたしたちは、このサイトが、建築物の専門家である建築士や行政関係者だけではなく、一般の方々にも、先人の残した歴史文化遺産に親しんでいただくきっかけになればと考えています。
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※申込みが定員に達しましたので、募集を締め切りました。
参加を検討された方には申し訳ありませんが、ご了承ください。
(1月15日)
今年度3回目のヘリテージマネージャー・アドバンスコース講習会のご案内です。
阪神淡路大震災から30年の企画の第三弾になりますが、今回は、災害時に、被災状況の調査やその後の復旧支援に活用されている、日本建築学会の「データベース」について学びます。文化庁などが編成し派遣する「文化財ドクター」では、このオンライン上のデータベースの使用が必須となっており、これが使えなければ参加することができません。
また、今後予定されている文化庁「近現代建造物重点調査」でも使用されるなど、災害時だけのものでなく、広く活用が期待されるものです。
講座では、座学とともにフィールドワークも行います。
ぜひご参加ください。 (協力:日本建築学会)
所在地 兵庫県南あわじ市賀集立川瀬
桁行7間、梁間6間、2階建、入母屋造、北面・南面及び東面庇付、西面増築部 桁行6間、梁間2間、平屋建、入母屋造、北面及び南面庇付、増築部西面張り出し部 間口2間、奥行6間、便所付、張り出し部西面突出部 桁行2間半、梁間2間半、切妻造、本瓦葺
明治14年(1881)、大正11年(1922)及び昭和初期増築


田中家は淡路島南部に広がる三原平野の南寄り、旧街道に面して建つ旧家である。享保年間に初代が現在地に居を構えたことに始まると伝え、代々萬米を名乗り、江戸時代には米や醤油などを商っていた。一方、明治以降は地主として土地経営を行うとともに、珉平焼を引き継ぐ陶器会社の経営に参画し、さらに7代萬米氏は淡路酪農と玉葱栽培の功労者として知られる。
屋敷地は間口22間、奥行16間のほぼ矩形で、主屋は敷地中央に南面して建つ。建物は桁行7間、梁間6間の規模で入母屋造の屋根をのせ、北面・南面及び東面に下屋(しころ屋根)をまわす。淡路地域の伝統的な農家形式である。この西面には棟を直交させて桁行6間、梁間2間、入母屋造の増築部が接続し、増築部の西面に幅2間の張り出し部が付く。さらに張り出し部西面北寄りには桁行2間半、梁間2間半の切妻造が突出する。屋根はすべて本瓦葺である。
建築年代は、まず東寄り7間分が明治14年(1881)4月9日に上棟したことが小屋裏に残る棟札から判明する。この時の当主は5代萬米氏で、大工は高嶋村(現南あわじ市志知)の斎藤永治であった。その後西面増築部が大正11年(1922)に増築され、さらに昭和初期に増築部西面に張り出し部及び突出部が増築されたという。
内部は東寄り2間を土間として正面側に玄関土間、奥寄りに台所土間を配し(現在は一部に床を張る)、西寄り5間の床上部には正面土間側より広敷・下座敷・上座敷の3室を並べる。上座敷は床・棚・平書院を構えて内法長押をまわすほか、皮付丸太の床柱や下座敷境の組子欄間など数寄屋風の意匠もみられる。下座敷・広敷は正面の下屋を室内に取り込んで小部屋としているが、これは明治以降の特徴である。背面側は3畳間・居間・納戸を配して座敷との間に中廊下を通す。ただし中廊下は幅が半間よりやや広く、室境の柱や建具の収まりに不自然な箇所がみられることから、後の改造の可能性がある。
西面増築部には仏間(8畳)・6畳間・納戸(6畳)が南北に並ぶ。仏間は床と仏壇を備えて屋久杉の竿縁天井を張り、床は壁貼付とする。この西に接続する張り出し部には6畳間、4畳間、4畳半の茶室が並び、突出部には6畳間と浴室を配する。浴室は宮家の迎賓用に増築したと伝えるもので4畳ほどの広さを有し、床暖房を装置して浴槽や洗い場には淡陶乾式白無地タイルを貼り、天井は中央を一段高くして段差部分に換気口を設ける。
この主屋は数寄屋風の造作や上質な作りの浴室に特色がみられ、また中廊下は後の改造の可能性があるものの保守性が強い淡路島では斬新で、旧家の近代農家として貴重である。
<参考文献>
・ひょうごヘリテージ機構H2O淡路「登録候補物件 田中萬米邸所見」
所在地 兵庫県南あわじ市倭文長田
永田家は淡路島南部の南あわじ市倭文(しとおり)長田に所在する旧家で、初代が18世紀初めに移り住んだことにはじまる。この地の有力な地主で、また一時は「染丈」の屋号で染物屋も営んでいた。なお七代目当主秀次郎は貴族院議員や東京市長、拓務大臣、鉄道大臣などを歴任したほか、「青嵐」の俳号で俳人としてもよく知られる。